SuNi / OF型労働とは
オクトーバーフェストに見る新しい働き方
【OF型労働とは】
毎年の必要な季節を、5年・10年の契約で先まで結ぶ。季節雇用を、人生単位の安定へ組み替えるための論考。
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今日もスマホを見る。映し出すのはソーシャルメディアの通知と、そこに流れる興味をそそるタイムライン。そういえば、「電話」という言葉は、内包する意味合いをずいぶん変えてきた。
家電(いえでん)から車載電話、携帯電話、スマホへ。家電と携帯電話の間には一線があるようにも思えるが、携帯電話からスマホへは、1Gから3Gごろまでシームレスに移行し、4G以降はおおむねスマホの話になった。
ふと思う。それにしても、「労働」という言葉へのイメージは長いこと変わらない。労働形態はこれほど多種多様になり、さまざまな業種が歴史の上で根絶と新生を繰り返し、コンピューターの登場以前と以後では社会の姿がまるごと変わっているというのに。
そこで考えたいのが、毎年の特定季節を就労期間として、5年・10年などの複数年契約を結ぶ「OF型労働」である。
現代までの大まかな流れ
「労働」は、いつから商品になったのか
古くは中国古典の『礼記』に「労」も「働」も出ているという。この頃から18世紀ごろまでは、労働という言葉はあっても、現代の「仕事」や「対価をもらうための作業」と同じ意味ではなかったようだ。やはり世界の岐路は産業革命だったのだろう。
「生業」という類語があることからも、何の業をもって生きているか、という程度の認識にすぎず、「私は労働者である」という自我的な発想は薄かったように思う。労働というより、人生の中の営み、暮らしをしていたにすぎない。
とりわけ日本では、近代になってから労働者としての自覚が根づいた。開国による資本主義や議会制度の流入と相関し、労働者階級という社会階層が生まれたことからも想像できる。この頃から、働くという「行為」と、作業者の「時間」が、商品として提供され始めた。
このように考えると、「家業を継ぐような前時代的な働き方は」とか、「今は自由な職業選択を」といった言葉が、どこか浮いて聞こえる。話者が想定する過去と現代とでは、同じ「働く」という単語を使っていても、行為が含む意義が違うのだ。
明治憲法下で国民の義務とされたのは、教育、兵役、納税だった。勤労は道徳的規範に近い認識だったようだ。終戦後、日本国憲法には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と明記され、時代は高度経済成長、すなわち終身雇用の時代へ進んだ。
終身雇用は、定年まで雇い続けるという会社の意思を表す一方、エスカレーター式に給与が高くなる特徴もあった。ピラミッド構造を前提とするため、年を追うごとに部署や支社を増やさなければ、上がる者に役職を与えられない。そして、その下には多くの人がいることが絶対条件だった。
しかしバブルは弾け、高度経済成長は終わり、少子化の足音が聞こえ始める。企業は人事に慎重になり、新卒ブランドが就職の重要なカードになった。就職氷河期の到来である。
硬直したエスカレーターシステムへの対処として、「生産性」や「労働の流動性」が語られ、派遣労働の対象業種が広がった。しかし、雇い元の経営状況に応じて労働をキャンセルできる便利な枠として運用され、いわゆる派遣切りという不安定さも生んだ。
制度の都合で「ゆとり」と名づけられた世代が社会へ出ても、労働環境の問題に決定的な打開策はなかった。問題は残りながら、問題意識そのものが聞き慣れたものになっていく。
そして現代、就職氷河期とゆとり世代の空白に直面した企業は、慌てて働き手を探し、新入社員の初任給を既存社員より高く設定する動きさえ見せる。一方、新しい世代は古い仕組みとは異なる価値観におり、退職代行が盛況になるほど、環境全体が綻んでいる。
働くことが罰ゲームのようになり、誰も得をしていないのなら、「労働」は意味を変える段階に入ったのかもしれない。意味そのものを変えなくても、その言葉への認識や受け止め方を、少し是正する必要はある。
生活の中の営み
いざ、オクトーバーフェスト
世界最大のビール祭り、ドイツ・ミュンヘンのオクトーバーフェスト。初めて訪れた時は胸が高鳴った。いつもの疲れを洗い流すように、大きなジョッキ(マス)のビールを呷る。時おり聞こえる乾杯の音楽が、ゆったりとした時間をさらに深める。
前も後ろも右も左も、装いはレダーホーゼとディアンドル。一人で八つのジョッキを運ぶ従業員。来場者はもちろん、従業員の笑顔も映え、知らない文化の趣を感じずにはいられなかった。
連れ添いが、オクトーバーフェストの蘊蓄を話し始める。会場の地名テレーゼンヴィーゼの「ヴィーゼ」は緑地という意味で、ルートヴィヒ1世の王太子妃テレーゼに由来すること。オクトーバーフェストも、成婚の祭りが転じて現在の形になったこと。
話は現在の内情へ続いた。オクトーバーフェストの従業員は、開催期間の約三週間に、給与とチップで一年分に相当する収益を得る人もいるという。そして、それ以外の期間は、ビールサーバーの洗浄業務などに従事しているそうだ。
法制度の違いもあり、日本にいると実感しにくい。ドイツでは飲食店の設備や営業形態に関する規律が細かく、ビールサーバーの洗浄にも定期的な需要がある。店内席の有無、野外席、フライヤーや炭の使用などによっても、消防や税制の扱いが異なるという。
従業員によって事情は異なるが、繁忙の三週間で大きく稼ぎ、残りの期間は通常業務をこなす。この話を聞いた時は面白い蘊蓄だと思っただけだったが、その後のドイツ生活で、日本との違いを何度も見せつけられた。
ドイツの生活
地域の中で、価値を巡回させる
街を歩くと、個人のバイオリン店やカフェ、世界各地から来た人が母国料理を出す店をよく見かける。全国チェーンもあるが、それ自体に圧倒的なブランド力があるわけではない。主要駅の周辺に構える一方、日々を暮らす人々は近場で、地元の時間をのんびり楽しむ。
どの個人店も、その地区、その地域の中で経済を回している。価値の巡回を起こしているのだ。国が違えば、さらに多くの異なる文化事例があるだろう。海外を見るなら、こうした生活に根ざす仕組みこそ持ち帰りたい。
OF型労働、その全容と利点
一年の安定ではなく、5年・10年先の季節の安定
一度、終身雇用を当然としてきた日本では、そのルールが染みついた層が加齢とともに上層にいる。しかし、先に生まれたことだけを収入の優劣へ結びつける仕組みは、経済合理性とは離れやすい。
人としての尊敬と、産業としての生産性を同じ土俵で語ってはいけない。尊敬や感謝も、上への一方向ではなく、双方向にあって然るべきだ。
一方、流動性を求めた派遣という働き方は、派遣切りという不安定さを露呈した。オクトーバーフェスト型労働環境、すなわちOF型労働は、ここに一つの解決案を示す。
季節に特化した産業は、それぞれの繁忙期だけ労働者が必要になる。それにもかかわらず、社員やアルバイトを年間通して確保しなければならないと考えること自体が、終身雇用の先入観から抜け出せていない。考え方を変えるだけで、解決へ近づけるかもしれない。
たとえば4月が忙しい事業なら、毎年4月の一か月を就労期間として、5年・10年の契約を結ぶ。大事なのは一年間の安定雇用でも毎年の契約更新でもなく、「この先の毎年4月が契約で確保されている」という、人生単位の安定へ意識を変えることだ。
事業者は、通年雇用よりも繁忙期へ報酬を集中させることで固定費を抑えられる。労働者は、短期間に一定の所得を得て、残りの期間を別の仕事、創作、学び、家族との時間へ配分できる。
4月の就労期間が終わった後、たとえば8月や12月を対象にした別の複数年契約も結べれば、年に二つの季節労働で先々の不安を減らせる。一年という短い尺度では不安定に見えても、複数年にわたり同じ季節が書面で確保されるなら、安定した構造になり得る。
一年のうち、繁忙期だけ人員を抱える
季節が見える産業から始める
ある冬、スキーシーズンの宿が、経営者の高齢化により料理提供をやめ、街に食事難民があふれるというニュースがあった。このような産業は、繁忙期が偶然ではなく、誰にとっても明らかな場合が多い。スキーなら冬に繁忙を迎える。季節が要因となるリゾート産業は、必要な時期を計算しやすい。
突発的なイベントなど、一度限りの募集には短期アルバイトという既存の枠がある。OF型労働で重要なのは、「来年もお願いね」という口約束ではなく、毎年の対象月、契約年数、報酬、業務、途中終了時の扱いまで書面で定めることだ。それが人々の安心につながる。
農作物の植え付け・収穫、漁期、青果の選果、観光、宿泊、祭礼、除雪、積雪対応、年末年始など、季節のある産業は多い。「労働者は正社員になることだけが唯一の安定」という価値観を社会が改めれば、労働を生活の中の営みとして取り戻せるかもしれない。
技術や生活は現代のままに、労働への認識はかつての「生活の中の営み」へ回帰する。古い時代へそのまま戻るのではなく、ソーシャルメディアやデジタルという新しい道具を組み込みながら、地域の文化と産業をつなぎ直す。
国や都道府県を支える基幹産業は、大きな資本の仕組みで進めた方がよい場合もある。しかし地域という集合の中で、個々人があらゆる場面で資本主義の絶対論に飲まれる必要はない。
OF型労働がすべての業種に合うとは思わない。それでも、業界全体をこの考え方へ寄せた方が効率的な産業はありそうだ。この案が、労働環境を少しでも是正するきっかけになればよい。
(了)